名古屋地方裁判所 昭和57年(ワ)270号
原告
坂倉喜助
右訴訟代理人弁護士
小久保義昭
被告
日本国有鉄道
右代表者総裁
杉浦喬也
右訴訟代理人
毛受康彦
同
杉山信利
同
村瀬勝之
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金二三一九万二〇〇〇円及び内金五一九万二〇〇〇円に対する昭和五七年一月一五日から、内金一八〇〇万円に対する昭和五七年一一月九日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨の判決並びに担保を条件とする仮執行免脱の宣言
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は被告の職員であったところ、C職群で一五年間勤務したのち、昭和三九年二月一一日D職群助役に任命され、翌四〇年三月末日をもって被告を退職した。
2 被告においては、職員が退職するに際し、当該職員を上級職員へ名誉的に登用する制度があるところ、原告が右助役に任命されるに先立ち、上司の小川襄(以下「小川」という。)は、原告に対し昭和四〇年三月末日をもって退職するように勧め、更に被告の人事規程ではD職群を一年以上経験すれば技師に名誉登用されるから、D職群助役に任命したいがどうかと述べたので、原告は、小川に、昭和四〇年三月末日に退職した場合名誉登用されるのであれば小川の申し出を受けると念を押したところ、小川は、原告に名誉登用することを確約した。
その後昭和三九年一二月三日小川の後任の三好秀夫(以下「三好」という。)から昭和四〇年三月末日付で退職するよう求められた際も、原告は、退職の際名誉登用されることになっているがこれを実行してくれるかと尋ねたところ、三好は、よく分かったと返答した。
3 そこで、原告は小川や三好の言を信じ、退職後名誉登用されるものと思って昭和四〇年三月三一日被告を退職したが、一向に名誉登用されないので被告の人事課に照会したところ、人事規程が改正されD職群に三年以上在職しなければ名誉登用の資格が得られないとの回答がなされた。その後、原告が再三小川や三好を介して被告がなした名誉登用する旨の確約を履行するよう求めたが、昭和五六年五月二七日被告から原告を名誉登用することはできない旨の最終回答があった。
このように原告と被告間に一旦約定が成立した以上、人事規程改正を理由に原告に対する名誉登用を拒否することは原告被告間の約定に違反するものである。
4 また、原告は名誉登用の資格要件を細部にわたって承知しているわけではないが、少なくとも、原告については永年にわたる功績に照らして特別詮議によって名誉登用される資格を有するものであり、現に原告を名誉登用してもよいとの通達が電話でなされているにも拘らず、被告の名古屋工場長は同名古屋支社長へその旨の上申をせず、名誉登用手続をとらなかったものである。
5 原告は、被告の前記債務不履行により左記の損害を被った。
(一) 原告は、被告退職後昭和四〇年四月一日から七年間日本電設工業株式会社(以下「日本電設」という。)に勤務したが、右勤務中の原告の給与は月額二万七〇〇〇円に過ぎなかった。しかし、原告が名誉登用されていたならば、トヨタ自動車株式会社系の会社に就職して月額六万五〇〇〇円の給与を得ることが確実にできたのであり、原告は名誉登用されなかったことにより右給与の差額分月額三万八〇〇〇円、七年間で三一九万二〇〇〇円の損害を被った。
また、仮にトヨタ系の会社に就職せず、同じ日本電設に勤務していたとしても、名誉登用されていれば月額五万四〇〇〇円程度の給与を得ることができたはずであるから、現に支給された給与との差額は七年間で二二六万八〇〇〇円となる。
(二) 原告は、名誉登用されていれば、生存者叙勲制度により勲六等瑞宝章を受章できた筈であり、その場合園遊会に招待される栄に浴するほか、被告の技師出身者が会員である春秋会の会員資格も取得できる。更に原告が就職した日本電設においても永楽会(通称技師会)に入会できたし、主席(係長、課長)に登用される資格も得られた。
このように原告は名誉登用されていれば、種々の名誉及び社会的地位が得られる筈のところ、被告の債務不履行によりこれが得られず原告は甚大な精神的苦痛を味わった。
この原告の精神的苦痛を金銭に換算すれば、二〇〇〇万円を下らない。
よって、原告は被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償として、二三一九万二〇〇〇円及び内五一九万二〇〇〇円(内訳、得べかりし給料三一九万二〇〇〇円、慰藉料二〇〇万円)に対する訴状送達の日の翌日である昭和五七年一月一五日から、内一八〇〇万円に対する請求の趣旨拡張申立書が被告に送達された日の翌日である同年一一月九日から各支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実のうち、原告のC職群勤務期間の点を除き、その余の事実は認める。原告のC職群勤務期間は一二年八か月である。
2 同2の事実のうち、被告に名誉登用制度のあることは認めるが、その余の事実は否認する。
3 同3の事実のうち、原告が昭和四〇年三月三一日退職したが名誉登用されなかったこと、原告が被告の人事課に照会したところ、D職群に三年以上在職しなければ名誉登用の資格が得られない旨の回答がなされたこと、原告が再三名誉登用するよう被告に請求したこと、被告が原告に対し名誉登用することはできない旨の回答をしたことは認めるが、その余は否認する。
4 同4の事実は否認する。
5(一) 同5(一)の事実のうち、原告が昭和四〇年四月一日から七年間日本電設に勤務し、その給与が月額二万七〇〇〇円であったことは認めるが、その余は知らない。
(二) 同5(二)のうち、原告が名誉登用されていたなら勲六等瑞宝章を受け得たことは否認し、原告が精神的苦痛を味わったことは争う。その余の事実は知らない。
三 被告の主張
1 原告は、退職に際し名誉登用の資格要件を備えていなかった。
(一) 昭和三九年から昭和四〇年における被告の職階制は次のとおりである。
被告の職階は、昭和三九年三月三一日以前は一般職、管理職、指定職に大別され、一般職は一職群から六職群に、管理職はA職群からE職群に格付けされていたが、同年四月一日から、一般職と管理職は一般職に統一され、職群の呼称もA職群からH職群に変更された。
また、指定職は、参与クラス(技術系では技師一級)、参事クラス(技師二級)、副参事クラス(技師三級)の三階級に格付けされた。
(二) 名誉登用とは、永年被告に勤務し、功績顕著な者が退職又は死亡の際、退職の前日又は死亡の日をもって認められる副参事クラス(技術系では技師三級)への登用である。但し、発令されるのは右のとおり退職の前日等であり、給与も登用直前に受けていた俸給又は基本給をもってその俸給とするものであるから、名誉登用は指定職としての実質的待遇を伴うものではない。
名誉登用の資格要件については、被告部内の内規がありこれに従って運用されていた。本件に関係する部分についてこれを見ると次のとおりである。
被告の総裁室秘書課長からの依命通達である「指定職員の登用基準等に関する取扱内規(昭和三三年一二月一八日付総秘第一六七九号、以下「三三年内規」という。)によると、名誉登用の資格要件は、<1>六職群及びE職群の職にある者、<2>五職群及びD職群の職にあり、その職務経歴が五年以上(但し、特別な場合四年以上に短縮されることがある。)の者と定めるほか、その附則三項において、旧内規(昭和二八年一月一四日付総秘第二六号「指定職員登用基準内規」を指す。)の基準によれば有資格となる者のうち総裁が特に必要と認めたものについては当分の間なお従前の例によると規定されていた。
三三年内規の基準は、昭和三八年六月二八日付総秘第八二一号「『指定職員の登用基準等に関する取扱内規』の一部改正について」と題する依命通達(以下「三八年改正内規」という。)により改正されるが、これに先立つ昭和三七年三月二六日付総秘第三六四号「指定職員の名誉登用の資格要件について」と題する依命通達(以下「三七年運用基準」という。)によって三八年改正内規とほぼ同様の内容の取扱が既に認められていた。即ち、これによれば、三三年内規の右<2>の要件は実質的に変わりがないが、右<1>については六職群及びE職群の職務経歴が三年以上必要となったほか、右<1>、<2>の基準に達しなくとも「現場長及びこれに準ずる職にある者又はかつてその職にあった者で(中略)総裁が特に必要と認めた者」も名誉登用される旨のいわゆる特別詮議の定めが新設されるとともに、三三年内規の附則三項の適用は廃止された。
右の取扱は三八年改正内規が発せられるにおよび昭和三八年六月末日をもって廃せられるが、三八年改正内規は特別詮議の要件として更に「五職群以上にある者」を附加した。
その後前記(一)の職群の呼称変更に伴い名誉登用の要件については昭和三九年四月一日以降昭和三九年一二月一九日付総秘第一八〇七号「指定職員の登用基準等について」と題する依命通達(以下「三九年内規」という。)に定める基準が適用されることとなったが、その内容は職群の呼称変更に合わせて職群名を変更したに留まり実質的には従前と変わるところがない。
以上の被告の内規を通覧するところから明らかなように、原告は退職時におけるD職群(G職群)の職務経歴年数が一年二か月弱であるから、三三年内規(及び三八年改正内規)の<1>、<2>の有資格要件を充たさず、あとは特別詮議の対象となるか否かである。
特別詮議の定めが三九年内規の形であらわれた最初は三七年運用基準であるが、それ以前から三三年内規附則三項の「総裁が特に必要と認めた者」の解釈運用について指示がなされていた。その一つとして総裁秘書課は昭和三六年八月四日付の「名誉登用について」と題する文書(以下「三六年文書」という。)を発し、右の「総裁が(中略)認めた者」の対象者の要件の一つとして、D又は五職群以上の職務経過が三年以上という基準を示し、更に経過措置として現にD又は五職群にあり、C又は四職群となってからの経過が一〇年以上ならば、D又は五職群の職務経歴が一年以上でも右の対象となりうる旨記載しているが、右経過措置は昭和三六年度末までの取扱である旨明記している。
その後昭和三八年六月二七日付総秘第八二二号「指定職員等の登用その他の代行についての取扱方について」(以下「三八年代行運用基準」という。)で三六年文書の基準が正式に達せられた。即ち、これによれば、特別詮議について「D又は五職群以上の職務経歴が三年以上の者で支社長が特に必要と認めた者については、総裁の承認があったものとする。」と定めている。
因みに、三八年代行運用基準は、当時、名誉登用等総裁の権限の一部を各支社長に代行させた際の取扱を指示したものであり、したがって、課長であった小川には原告を名誉登用する権限はなかった。
以上のとおり昭和三六年度の一時期経過措置としてD職群在職一年以上の者が後にいうところの特別詮議の対象となりうる場合があったが、昭和四〇年三月三一日に退職した原告には右経過措置の適用はなく、当時の内規によれば、D職群(G職群)在職年数三年以上の者でなければ特別詮議の対象とならなかったのであり、退職当時この要件を充たさない原告はその対象とはなり得なかった。
以上のとおり、いずれにせよ原告は退職に際し、名誉登用の資格要件を備えていなかった。
2 原告は、名誉登用されていたならばトヨタ系の会社に就職して月額六万五〇〇〇円の給与を得ていたことが確実である旨主張するが、失当である。原告のいう会社とは豊田工機のことであるが、原告は自己の意思によって右会社に就職しなかったのであり、名誉登用の有無とは関係がない。
3 原告は、名誉登用されていたとしても当然に原告の主張するような勲章を授与されるわけではない。
即ち、被告における叙勲の擬叙についての内部基準によれば、原告は勲六等瑞宝章の選考対象者となるに必要な在職年数は充たしているものの、必要とされる所定の表彰のいずれも受けていない。また、生存者叙勲候補者は、一般分野と特殊分野とに分けて推薦されるところ、仮に原告が推薦されるとすれば、その経歴からして一般分野からとなるが、この分野における副参事クラス(技術系では技師三級)以下の受章は極めて困難な状況にある。したがって、いずれにせよ名誉登用されていれば、勲六等瑞宝章を受章できたはずであるという原告の主張は失当である。
四 被告の主張に対する原告の反論
1 被告の主張する名誉登用に関する内規はともかく、昭和三九年二月に小川から退職勧奨を受けた際、小川を通じて被告の名古屋工場庶務課人事係で名誉登用に関する規程を調査したところ、D職群を一年以上経過すれば名誉登用される資格を有する旨の回答を得た。しかるに請求原因2記載のように退職後原告の照会により被告の担当者が調査したところ、実際は先の回答は誤りであってD職群に三年以上在職しなければ名誉登用できないと基準が改正されており、これを人事係の担当者が看過していたというのであるが、このような被告の主張は、名誉登用されていることを信じて退職した原告を欺くものであって信義誠実の原則に反し許されない。
しかも名誉登用が内規に従って運用されているという被告の主張は建前論であり、実際の運用は必ずしも内規の基準通りになされているわけではなく、原告を名誉登用することについて障害はなかったのである。
2 被告の主張によれば、名誉登用については支社長が総裁を代行する権限を有していたとのことであるが、直属上司である小川が原告を名誉登用することを確約した以上、当然部長を経由して支社長に上申され、支社長において総裁名で名誉登用の発令がなされるのであり、小川のした確約はとりも直さず被告のした確約と見るべきである。
3 原告は永年一般の国鉄職員が従事することを好まない機械の設計図作製作業に従事してきたものであり、被告の主張するところの特殊分野での叙勲の資格を有する。
第三 証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるからこれを引用する。
理由
一 (証拠略)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は、昭和二年一〇月一〇日鉄道省に入り昭和二四年六月日本国有鉄道法の制定による被告の設立に伴って被告職員となり、同年当時の被告の職階制下における課員一級となったこと(「課員一級」は後に「C職群」と改称された。)、原告は、昭和三九年二月一一日D職群の助役、同年四月一日G職群助役、同年一〇月一〇日主席にそれぞれ任命され(右の日にD職群助役に任命されたことは当事者間に争いがない。)、昭和四〇年三月三一日被告を依願退職したこと(この日に退職したことは当事者間に争いがない。)、原告はその間一時期を除きほぼ一貫して名古屋工場で機械の設計等の職務に従事していたことが認められる。
二 次に、昭和三八年から原告退職時までの期間における被告の職員の職階区分及び本件争点である名誉登用制度を見るに、弁論の全趣旨並びに(証拠略)によると左のとおり認められる。
1 昭和三九年三月末日まではその職階は一般職、管理職(現業)、とこれらの上位にある指定職に大別され、一般職は一職群から六職群(六職群が最上位)、管理職はA職群からE職群(E職群が最上位)に区分され、二職群とA職群、三職群とB職群というように六職群とE職群まで順次同格の関係にあり、指定職は、技術系については技師三級から同一級(一級が最上位)に区分されていたが、昭和三九年四月一日から一職群がA・B職群、二職群とA職群がC職群、三職群とB職群がD職群、四職群、C職群がE・F職群、五職群、D職群がG職群、六職群、E職群がH職群と職群の呼称が統一変更された。
2 被告における指定職への登用については、従来から被告総裁秘書課長の依命通達等内規によってその基準等が定められていたが、これによれば、その登用の形態には普通登用、特別登用、名誉登用の三種類があり、このうち名誉登用とは、永年被告に勤務し、功績顕著な者が退職し、または死亡した場合、普通登用の登用基準を充たさなくても一定の要件に該当する者については、退職の前日又は死亡の日をもって一般職、管理職から技術系については指定職の技師三級に登用することをいうものである。なお、昭和三六年七月一日以降名誉登用されても昇給することはなくなった。
三 原告は、上司の小川が原告のD職群助役任命に先立って、また、同じく上司の三好は昭和三九年一二月三日に、同四〇年三月三一日に退職すれば原告を名誉登用する旨確約したと主張するので、この点について判断する。
1 ところで、原告は右確約につき被告の名古屋工場設備課長として原告の直属上司であった小川及び三好との間で約定した旨を主張するのであるが、全国的な規模にわたる巨大な組織である被告における末端の一職制ともいうべき一課長との約定をもって、直ちに被告との間に原告を名誉登用する旨の約定が成立したとみることについては問題がないとはいえない。しかし、これについては、被告の組織機構や登用手続の実態等に踏み込んで検討する必要があるので、この点は一応措いて、まず原告の主張するような約定が小川や三好との間に成立したか否かについて考える。
2 (証拠略)、原告本人尋問の結果(第一、二回、いずれも後記採用しない部分を除く。)を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 原告は、昭和三七年三月二〇日以降被告の名古屋工場設備課設計係に勤務していたが、昭和三八年一一月ころ、同課課長の小川のもとに静岡県に所在する豊田工機より求人の申込みがあった。当時被告には定年制度はなく、五五歳で勇退するのが慣例となっていたが、民間会社からの求人に応じて五五歳に達する前に退職する例も少なくなく、小川は、同月二日、当時間もなく五三歳になろうとしていた原告に豊田工機からの求人の件を伝え、退職を進めた。その後一〇日間程の間に何回か小川と原告との間で話し合いがなされ、豊田工機では月額給与六万五〇〇〇円が支給されることなど転職後の具体的勤務条件の提示もあったが、原告は、以前から先輩、同僚が退職する際、指定職の技師に登用される例を見ていたことから、自らも退職する際には技師に登用されたいと強く望んでいたので、小川に対し、技師に登用されるなら退職してもよいと述べた。そこで、小川は、井村庶務課長(以下「井村」という。)にその旨伝えて相談し、同月一一日、原告と小川、井村が同席して話し合ったが、井村は、当時原告の属していたC職からD職に昇格させることは名古屋工場長限りで可能だが、技師に登用することは工場長限りではできないし、C職からいきなり技師にすることも無理であると述べた。また、同じころ、小川は、庶務課人事係の水野にも原告の希望の件を問い合わせたところ、水野から、D職群を一年以上経験しなければ技師になれないが、一年以上経験すれば本人の成績等他の条件如何によっては名誉登用により技師三級に登用される可能性があると教示され、その旨を原告にも伝えた。そこで、原告は、自らも水野のもとに赴き、小川から伝え聞いたところを確認したところ、水野は、三六年文書と同内容の記載部分のある書類を原告に示して、小川にしたと同様の説明をしたが、原告は、それまで被告の人事に関する規程を調査したことはなく、もとより名誉登用に関する内規等についての知識がなかったし、この時も右書類以外の規程等は見せられていなかったことから、右の説明に拘らず、D職群の職務経歴が一年以上の者でC職群となってからの経過が一〇年以上の者という記載部分にのみ関心が集中し、この部分だけを見て右の条件さえ充たせば、当然に名誉登用されるものと信じてしまった。
そして、被告を退職して豊田工機に再就職するとの転職の件については、井村からこの時点で技師に登用することが事実上不可能であると言われたため、原告は、昭和三八年一一月一二日、小川に対し、この話を断わる旨の最終回答をし、原告の退職、転職問題は、一時立ち消えとなった。
(二) しかしながら、小川は、原告が技師への登用を強く希望しているところから、せめてD職群に昇格させたいと考え、その後、井村にもその旨相談していたところ、小川の大阪への転勤が内定した昭和三九年二月ころ、井村から名古屋工場内にD職群の空き枠が一つ出来たことを聞かされ、井村に原告をD職群に昇格させてくれるよう配慮方を依頼するとともに、同月八日、原告に対し「名古屋工場利材職場のD職群助役に昇格させたい。但し、実際の就業場所は現場のまま設備課の設計とする。来年三月末日に被告を退職する旨を約束して欲しい。」と申し入れた。そこで、原告が技師への登用の件について小川に質したところ、小川は前年一一月に水野から聞いたところを再び原告に話し、「今D職になれば、来年三月末日に退職するとしても、D職群の職務経歴が一年以上となるから、勤務成績如何によっては技師に登用される可能性がある」旨示唆したことから、原告は、前記のとおり前年一一月に水野から書類を見せられてD職群を一年以上経験すれば当然名誉登用されるものと信じていたので、小川の右説明を、小川が原告の名誉登用を確約してくれたものと原告なりに理解して小川の右退職の件を承諾した。しかして、被告の内部決裁を経た上、同月一一日、原告は、利材職場助役兼設備課勤務を命じられてD職群助役となり、同じころ、小川は大阪に転勤し、その後任に三好が就いた。
原告は、右異動前の同月八日、小川の後任者となる三好の所へ挨拶に行き、小川からあと一年で退職するよう言われていることなどを話したが、三好からは、今から退職を決めなくてもよいなどと言われた。原告は、三好に退職の件を話した際、三好が「分かった、分かった」などと相槌を打ったのを、小川から三好に原告の名誉登用の件について引き継ぎがなされており、三好も原告を名誉登用することを了解した趣旨と理解したが、実際には、このような引き継ぎはなされておらず、小川は、単に設備課の中で最も年長の原告のことを宜しく頼むと三好に述べていたにすぎなかった。
(三) 原告は、昭和三九年一〇月一日、利材職場助役から設備課主席となったが、同年一二月ころ、三好のもとに二社からの求人があり、三好はこれを原告に伝えて翌昭和四〇年三月末日をもって退職するよう勧めたところ、原告は、右の日に退職すれば名誉登用されるものと信じていたので、即座に退職を承諾し、再就職先については右二社のうちの一社である日本電設を希望した。
その後、日本電設への再就職が正式に決まり、原告は名誉登用の発令を受けないまま昭和四〇年三月三一日付をもって被告を依願退職した。
(四) 原告本人尋問の結果(第一、二回)、(証拠略)中前記(一)(二)(三)の認定事実に反する部分は措信しない。
3 右認定のように、原告の退職に先立ち、小川や三好が原告に対しその退職に伴って名誉登用する旨確約したとはにわかに認め難いところ、翻って被告の内規通達等の面から原告が名誉登用されるに足りる資格を備えていたか否かであるが、(証拠略)によると、名誉登用の資格要件を定めた内規等のうち本件に関係するものとしては、三三年内規、三七年運用基準、三八年改正内規、三八年代行運用基準、三九年内規等をあげることができるのであるが、これらの規定によると、名誉登用の資格要件は、大別して通常の資格要件と三七年運用基準以降設けられた特別詮議と称される資格要件の二種類あることが認められる。しかし、原告は右各内規のいずれによっても、前記一記載の職群経歴に照らし、通常の資格要件を具備しないところであり、一方特別詮議についても三八年改正内規、三八年代行運用基準の定めによれば、原告はやはり職群経歴の点からその資格を有しないことが明らかである。
ただ、(証拠略)によれば三七年運用基準の制定に先立って三六年文書が被告により作成されており、これには、名誉登用に関する経過措置として、C又は四職群となってからの経過が一〇年以上で、D又は五職群の職務経歴が一年以上であれば、名誉登用される場合がありうるとする記載部分のあることが認められ、これによれば、原告も職群経歴の点からは退職の時点で名誉登用の要件を充足していたこととなるのであるが、三六年文書によると、右の経過措置は、三六年度末、即ち、昭和三七年三月三一日まで行うものと明記されていることからすると、本件で小川や三好との名誉登用の約束の有無が問題となる昭和三八年一一月以降の時点では既に三六年文書の基準は失効していたというほかなく、この点につき昭和三八年度末(昭和三九年三月三一日)までこれが適用されていたとする原告の本人尋問(第一回)における供述はにわかに措信し難い。なお、原告の退職時に効力を有していた三九年内規には特別詮議における職群要在職期間の記載がないが、これは期間を要件としない趣旨ではなく、前記各内規等を通覧すれば、三八年代行運用基準(<証拠略>)昭和三八年七月一八日付中部支社人事課長事務連絡(<証拠略>)の五職群三年以上との定めが適用されると解されるところである。
このように、昭和三六年文書も原告がその確約があったという時点においては失効しており、原告は名誉登用される資格を有しなかったのであるが、小川は同人の証言からも認められるように、技術畑の出身ということもあって、人事関係についての理解が充分でなかったことから、原告にも特別詮議による名誉登用の可能性はあるかに考え、原告に対し前記認定のとおりの説明をしたものである。しかし、いずれにしても原告は名誉登用される資格要件を具備しておらず、小川の認識理解も右のとおりであった以上、小川が原告の主張するような確約を原告に与える筈はないというべきである。
4 また、原告退職時における原告の直属上司であった三好や被告名古屋工場の人事担当者が原告の退職に際して原告を名誉登用させるべく登用権者に対し所定の手続をとった形跡は本件証拠上全く存しないのであるが、小川、三好や名古屋工場の人事担当者が被告に対する退職勧奨と新規就職先のあっせんに際し、積極的に欺罔行為を弄さねばならないような事情を窺わせる証拠もないのに右手続がとられていないことはやはり原告主張の確約の成立していなかったことの一証左であるということができる。
5 もっとも、証人小川襄、同三好秀夫の各証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)によると、原告は、退職の際も小川との約束により名誉登用されるものと信じており、ただ、名誉登用の発令が本来何時なされるかは知らなかったので、或いは退職後暫くしてから正式の発令があるのかとも思っていたが、退職の際の手続に不審なことがあったことなどから、昭和四〇年四月三日果たして名誉登用されるのかどうかを水野に問い合わせたところ、名誉登用の特別詮議の資格要件がD職群三年以上の職群経歴を要すると変更されたことを知らされた。その後、原告は、名誉登用されないことが納得できず一〇数年に亘り、小川、三好、水野に手紙で問い合わせたり、その自宅を訪問して面談したりしたことが認められるが、これの事実も原告がそのように信じたことを窺わせる一つの事情ではあるものの、直ちに原告主張の約定の成立を首肯させるものではない。
四 これまで判断してきたとおり、原告と被告との間には原告の主張するように原告をその退職に際し名誉登用するとの約定の成立は認められないところであり、なお、原告は右約定の成立後に内部規程が改廃されたことを理由に原告の名誉登用を拒否することは許されないとも主張するが、右約定の成立は認められないうえ、前記三六年文書による経過措置も昭和三七年三月三一日をもって失効していたのであるからこの点の原告の主張も理由がない。
五 以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 宮本増 裁判官 福田晧一 裁判官 佐藤明)